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『魔女誕生』:第一章 教会の民衆教化にみられる魔女的要素と性

キリスト教受容以前の社会では、さまざまな信仰や迷信が存在した。その一例として、マレフィキウムが挙げられる。マレフィキウムとは、呪文やまじないという呪術的な方法・超自然的な方法によって、人々に被害を与えることである。具体的には、家畜を病気にさせて殺すこと、雹を伴う嵐や季節はずれの雨を降らせて、農作物をだめにすること、人々に不意の病や死をもたらすこと、などがあげられる。(1)

キリスト教受容以前のゲルマン社会において、マレフィキウムを行なう者に対する迫害がなかったわけではない。このことは、古くから、なんらかの普通では説明のつかない災害や不幸な出来事を、神秘的な力を用いた者のせいにするという概念が存在したことがうかがえる。しかしそれは、実際に人々に害を与える“悪事”をおこなったからであり、後世の魔女狩りのように、実害の有無を問わずにマレフィキウムを使う者であるというだけでは、迫害されることはなかった。(2)

マレフィキウムに関して注意しなければならないのは、もともとこの呪術の源として、キリスト教でいうところの悪魔が介在していないことである。ゲルマン社会に存在する概念は、異教の神や、森・泉といった自然と結びついた霊である。これらの概念は、当時の刑罰に対する思想にも見られる。それは、共同体の生活秩序を乱す犯罪行為に対して刑罰を課すことにより、その秩序を回復する、という思想である(人間の許しがたい犯罪に対しては、自然も反応すると考えられていたので、刑罰を課すことで自然を宥めようとしたのである)。(3)

しかし、教会は、度重なる説教やデモンストレーションをとおして、このような異教の遺習にひたっている人々の信仰をあつめる神々を、デモン(悪霊)というまがまがしいレッテルをはることで悪の王国に追放し、彼らへの信仰をそらし、真正のキリスト教信仰へと、民心を教導する戦略をとる。(4)例えばアウグスティヌスは、人々が悪霊たちの助力を得て、本来ならば人間の能力を超えているマレフィキウムを行なうことができるのだと信じて疑わなかった。それは、悪霊たちが自分たちへの崇拝へのお返しとして、彼らに超自然的な力を貸したからである。だが、同じことは、いかに無害に見えるものであれ、魔術のすべての形態にあてはまる。お守りを身につけること、星占いをすること、そしてまた、呪文や護符によって病気を治すこと──これらはすべて、邪教の、したがって悪魔的な非行として、慎まれるべきであった。(5)

6世紀以降、ゲルマン諸部族の諸法は、魔術についてのこのようなキリスト教的解釈を考慮に入れるために、改訂されつつあった。古い異教の諸法はマレフィキウムの形態においてのみ、魔術を認めており、その場合でさえも、生命や健康や財産に対してなされたと考えられる危害という見地からだけ、裁きを行なったのである。しかし今や教会の影響の下で、あらゆる魔術を刑事犯罪として処理する傾向が生まれた。このことは、西ゴート王国やカロリング帝国においても同様であり、6〜8世紀以降、マレフィキウムに対する罰則が設けられていくことになる。(6)

しかし、カロリング朝の始まり以後、約4世紀間は、世俗当局者たちは宗教的犯罪としてのマレフィキウムに関与するように求められはしなかったようである。教会はもちろん、マレフィキウムの実践に対して戦いを行ない続けた。だが、その方法は決して残忍なものではなかった。まず、マレフィキウムのある種の形態は、単なる迷信として取り扱われた。聖職者たちは、依然として民衆の想像力の中で生き続けている異教信仰の痕跡を根絶することに熱心であったからこそ、その超自然的な力を過小評価したのである。例えば、人々を内側から喰うことができるとか、一瞥をくれるだけで人々を殺すことができると信じることは、許されないことであった。他の種類のマレフィキウムは、聖職者たちを含むすべての人によって有効だと思われていた。そしてこの場合にはそれらのことを行なう人々は、自白して罪の償いを行ない、赦しを得るよう勧められた。(7)

この際、告解を聞く司祭のためのハンドブックとして用いられたのが、「贖罪規定書」 Penitentiales であるが、それによってマレフィキウムやその他の民衆の呪術概念としてどのようなものが存在したかを知ることができる。「贖罪規定書」は贖罪を必要とする罪の目録であり、その罪を贖うための罰の内容をも規定している。司祭は告解をする教区民に質問をし、その答を聞いて罰を定めるのであるが、その質問の内容から、当時の呪術概念を読み取ることができるのである。「贖罪規定書」の多くは8世紀から13世紀の間に書かれているが、ここでは「贖罪規定書」のなかでももっとも内容の豊かな、ヴォルムスのブルヒャルト Burchard of Worms「矯正者・医者」 Corrector Medicus (1008頃〜12)の内容をみることにする。(8)それにより、どのような民衆の呪術概念が教会に否定されたか、そして、特定の性が問題とされたかどうか、知ることが出来るのである。

特に女性自身に対して向けられた項目としては、堕胎や出産に関するものが挙げられる。(9)逆に、男性自身に対するものもあって、それらは姦通や、裸体を見るといったものである。(10)しかし、全体としては、各項目は特定の性に向けられたものではない。とはいえ、その内容から、ある女性たちがなんらかの超自然的な行為を行なっているという概念が存在したことがうかがえる。

特に女性が行なっているとされていた行為については、基本的に“汝は、ある女たちが……していることをしたか、または同意するか”という表現形式で語られている部分から、どんなものが存在していたのか知ることができる。例えば、生命や健康を損なおうとするもの、愛を得ようとするもの、逆に愛を失ったことに対する呪いなどがみられる。(11)しかし、“ある男たちが……”というような表現はどこにも見当らない。

この他、占い師や魔法使い、嵐起こし屋などが存在していたことを示す項目がある。しかし、そのような人々の性別は明らかではない。(12)

以上に加え、ブルヒャルトの贖罪規定の中で、とりわけ魔女的要素と関連のある項目として、70章、90章、170章が挙げられる。

70章
「ある女は悪魔に欺かれて、女の姿に変身(これは愚かな者たちがストリガをホルダ[ホレ婆さん]と呼んでいるのだが storigam holdam vocat)した悪魔の群れとともに、悪魔の命令によってある種の動物に跨がり決められた日の夜に悪魔たちと集まらねばならないといい、その通りにしうるというが、おまえはそれを信ずるか。おまえがこの背信行為に関わっていた場合は、指示された祭日に1年間の贖罪を果たさねばならない。」(13)
90章
「おまえは次のような背信の行為を信じたか。そして、それに参加したか。ある女たちは悪魔に従い、悪魔の幻影や幻想に魅惑されて、異教の女神ディアーナと数えきれない女たちが、ある種の動物に跨がって夜のしじまのなかで地上のいたるところを通過し、ディアーナが女主人でもあるかのように、彼女の命令に従い、定められたように彼女に奉仕するために呼び集められると信じていることを……。」(14)
170章
「多くの女たちが、魔王のもとに戻って、真実であると信じて断言していることがらを、おまえは信じたことがあるか。例えば、静かな夜のしじまの中で、おまえが床に就いていて、おまえの夫がおまえの胸に抱かれている時に、その肉体のままでありながら、閉じた扉を通りぬけて、同様に欺かれている他の女たちと連れ立って、世界中を旅することができると、信じたことがあるか。また、目に見える武器をもたないで、おまえが、洗礼をほどこされてキリストの血によって罪から救い出された人々を殺し、他の女たちと一緒に彼らの肉を料理して喰う、と信じたことがあるか。そして、喰われた人の心臓があった場所に、おまえが麦藁や木材やその種のものを入れ、また、これらの人々を喰ってしまったあとで、おまえが彼らを再び生き返らせ、しばらくの間、彼らを生き長らえさせる、と信じたことがあるか。もし、このことを信じたならば、おまえは50日間パンと水だけを口にし、それに続く7年のあいだ毎年、50日間同じ節食をする罪の償いをせねばならない。」(15)

以上の項目に共通しているのは、ある女性たちは、悪魔にだまされて、他の女性たちとともに、夜に外出する、という点である。しかし、このような概念は新しいものではない。例えば 70章及び170章は、もともと古代ローマで知られていた超自然的な生物であるストリックス strix に由来すると思われる。(16)

ストリックスとは、金切り声をあげながら夜中に飛び回り、人間の肉と血を食べて生きる生物として知られていた。ふつうストリックスはフクロウのようなものだと考えられていたが、単なる鳥ではなく、民衆の信仰によれば、人間の赤ん坊たちに自分たちの乳房を吸わせる、と信じられていた。さらに、ストリックスは、乳母たちに守られていない赤ん坊を探し求めて、夜中に空を飛び回り、赤ん坊を見つけると、揺りかごから引きずり出して、その身体を引き裂いて、自分たちの胃袋が飲み込んだ血でふくらむまで、赤ん坊の内蔵をむさぼり喰うのである、と考えられていた。しかし、ストリックスは赤ん坊だけを襲うのではなく、普通の人間も犠牲となると考えられていた。その後、マレフィキウムを使う女が、夜中に鳥に変身して空へ飛んでいく、という概念が文学作品の中にあらわれ(オヴィディウス Ovidius 『恋愛詩集』アプレイウス Apuleius 『黄金のろば』など)、ストリックスとは、昼間は女だが、夜になると空中を飛んで好色な血なまぐさい、あるいは人肉を食う旅に飛び立つ女のことである、と考えられるようになる。

このようなストリックスに対する信仰は、キリスト教の教化が始まった後にも存在しつづけた。そのことは、この信仰に関する諸法律の存在によって確認される。(17)

11世紀の初頭までには、ドイツの各地では、ストリックスは、人喰い女としてのイメージが強められており、そのイメージは、常にそうであるとは限らないが、しばしば夜中に空を飛び回る能力をも含んだものであった。(18)

90章については、906年頃に元プリュムの修道院長レギノ Regino of Prum が書いた『司教法令集』 Canon Episcopi に由来している。そこでは、「異教の女神ディアーナを崇拝し、夜中に多くの女たちとともにある種の動物にのって遠隔の地を駆けぬける、と信じている女たち」について言及されている。(19)

「……魔王に立ち戻り、悪霊たちの妄想や幻惑によって欺かれて次のようなことを信じて、公然と認めている悪い女たちがいる。彼女らは、自分たちが夜中に異教徒たちの女神ディアーナと一緒に、また数えきれないほど多くの女たちとともにある種の動物に乗り、真夜中のしじまの中で、多くの偉大な国々を駆けぬけると信じて、そう公言している。また、彼女たちは、自分たちが、ディアーナを自分たちの女主人のように崇拝して(ディアーナの)命令に従い、特定の夜に彼女に奉仕するよう呼び出されるのだ、と信じて、そう公言している。他の多くの人々を自分たちと一緒に不信仰の破滅の淵に引きずり込まないで、彼女たちだけが背教の罪の中で滅んでしまえばいいのに。というのも、数えきれないほど多くの人々が、この偽物の見解にだまされて、これらのことを真実であると信じ、また、本当の信仰から脱線して、異教徒たちの謬見に立ち戻って、唯一の神以外にもなんらかの神的な力が存在するのだ、と考えているからである。」

ブルヒャルトの贖罪規定に至るまで、男性以上に、女性は超自然的な事柄と強く結び付けられて考えられていた。しかし、それはあくまで概念上のことであって、実際には、そのような超自然的な事柄は、教会により、否定されるべきものであった。例えば、90章のような出来事についての教会の見解は、女たちは悪魔の妄想や幻惑によって欺かれているのであり、そういった出来事は実際に起こったことではなく、夢のなかで起こったことである、というものである(つまり、現実には、そのようなことは起こり得ない、としている)。そして、ブルヒャルトの贖罪規定によれば、そのような女たちは有罪である。なぜなら、彼女たちが、他人に危害を加えるからではなく、異教的な迷信にふけっているからであった。(20)

このようにキリスト教受容以前には、キリスト教とは異なる、民衆独自の呪術概念があった。民衆の呪術概念に対するキリスト教の見解は、その現実性を「否定」するものである。その中心にある思想は、そのような概念を頭の中に描き信じることは「悪魔にだまされて」そうするのであり、つまりは、それらは現実には起こり得ないことである、というものであった。このような否定的見解をもとに民衆の呪術概念を駆逐し、キリスト教的思想統一を目指して、キリスト教の教化がおこなわれてきたのであり、その教化の具体的指導書が「贖罪規定書」である。その目的とするところは、民衆の悪しき誤りを正し、キリスト教信仰の定着を図ることであった。このため、魔女的な行為を行なったり信じたりしたとしても、課せられる罰は、そう厳しいものではなく、まして火あぶりにされることはなかったのである。また、罪を犯した者が皆一律に裁かれているのではなく、実際には、性別、年令、身分、精神状態といった、告白者の個人的背景が考慮されなければならないとされていた。(21)

この一方、実際に迫害を受けていた存在があった。いわゆる“異端”と呼ばれた人々である。

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