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『魔女誕生』:はじめに

魔女狩り──それは15世紀頃から始まり、17世紀後半まで行なわれていた、一種の“裁判”である。たしかに、魔女とされた人々は裁判にかけられた。しかし、裁判とは名ばかりで、それは刑を執行するための単なる手続きにすぎなかった。魔女として裁判にかけられた人々は、弁護人もつけられず、ただ魔女であることを認めるよう、すすめられた。もし容疑者が自白しなければ、容赦なく拷問にかけられた。その拷問に耐えぬけば釈放される可能性はあったが、その前に、ほとんどのものは、魔女であることを自白するか、死んでしまうかのどちらかであった。つまり、ほぼ容疑者には助かる道のない、一方通行の裁判だったのである。そして、最終的に下される判決は“火あぶり”の刑が大半であった。

中心となるのはヨーロッパであるが、それより規模は小さいながら、イギリスでも行なわれたし、ヨーロッパでは魔女狩りがほぼ行なわれなくなった17世紀末頃に、アメリカ大陸でも起った(最も有名なものとして「セイレムの魔女」事件が挙げられる)。(1)

魔女狩り研究の大まかな流れを見てみると、以前は、魔女を単なる迷信とし、魔女裁判の狂気・残酷さを強調して、愚かな狂気の沙汰、人類の汚点、無意味なものなどといった、魔女裁判の存在価値に対して否定的な見解が一般的であった。しかし、近年の研究は、人類学・社会学などの他分野からの調査結果を利用し、単なる迷信に基づく狂気で片付けるのではなく、それが生じた背景を積極的に分析しようという試みが特徴としてみられる。(2)

魔女狩りについて、多角的な研究が行なわれるようになったのは良いことである。しかし、全体的な流れとしての魔女狩りのとらえ方が不十分・あいまいであるという印象もある。

魔女狩りは、“魔女狩りの手引書”といわれる『魔女の槌』が著わされた1480年代に始まり、その後一時停滞し、1580年代に再び、魔女についての新しい文献が出て再燃し、今度は大きな被害をもたらしたという。これを一続きの流れとして見がちである。しかし、実際には二つの大きな波としてみることができる。宗教裁判所が先頭に立って行ない、犠牲者は限られていた1480〜1520年と、世俗裁判所(領主・国王)が行ない、被害は大きかった1580〜1670年とである。(3)仮に前者を前期魔女狩り、後者を後期魔女狩りとする。

前期・後期に関して、狩りの主体者・影響の大きさの他にもいくつか相違点があるだろう。しかし、いちばんの重要な点は、魔女のイメージ・魔女狩りのシステムの普及の度合いではないだろうか。

前期魔女狩りにおいてはイメージやシステムの普及が不十分なため、後期魔女狩りと比べて、狩りは不十分なものであり、被害は限られていた。逆に、後期魔女狩りの時期には人々の心の中にはイメージ及びシステムは定着しており、そのためにそれまで以上に多くの人々が魔女とされ、裁かれた。後期魔女狩りは、すでに完成された魔女のイメージ・魔女狩りのシステムの存在が前提としてあり、そのイメージやシステムにのっただけの、ある種惰性的な狩りともいえる側面をもっているのではないだろうか。少なくとも前期と後期とでは、その狩りを行なおうとする意図が異なると思われる。

魔女狩りがもっとも盛んに行なわれたのは後期においてなので、魔女狩りの研究でとりあげられるのは、後期が多い。しかし、先に述べたように、後期魔女狩りとは、あくまで前期魔女狩りを前提として成り立っていると思われる以上、まず、前期魔女狩りの本質を解明しなければ、後期魔女狩りに対する考察は意味をなさないのではないだろうか。つまり、前期がどのように「変容」して、後期魔女狩りへと至ったのか、という展開がとられるべきなのではないだろうか。

しかし、すべてをまとめて論じるには、研究時間・紙数などの制約もあり、不可能である。そこで本論文では、魔女狩り研究におけるもっとも基本的な問題──しかし、もっとも困難な問題でもある、すなわち、魔女=女性というイメージがどのようにして確立したのか、ということについて考察することにする。

魔女と呼ばれるものは昔から──つまり、魔女狩りが始まる以前から──存在した、としばしばいわれる。(4)確かに、超自然的な行為を行なう人々の存在は信じられていたが、しかし、とりわけ女性に限られていたわけではない。もっともそれは『魔女の槌』の登場までである。とりわけ女性を妖術と結びつけてその悪を論じた『魔女の槌』が1486年に世に出ると、以後この本は版を重ね、“魔女狩りの手引書”として影響力をもち続けることとなる。従って、この『魔女の槌』によって、魔女=女性というイメージが確立されたといっても過言ではないだろう。そこで、『魔女の槌』に至るまでの、魔女的要素(妖術、悪魔崇拝、秘密の集会など)と性との係わり合いの歴史を見ることによって、魔女がとりわけ女性として意識されるようになった過程を考察してみたい。

以下では、まず民衆独自の呪術概念およびそれに対する教会の対応について考察する。ここでは、魔女狩り以前に、魔女的ともいえるさまざまな呪術概念が存在していたにもかかわらず、また、女性についての非難が多かったとはいえ、教会の対応が寛容であったことが明らかにされる。その一方で、実際に教会や世俗権力から異端として厳しい弾圧を受けた存在について、次に考察する。ここでは異端が魔女的要素によって迫害されていること、しかし、性別による区別はなかったことが説明される。そして最後に、『魔女の槌』による魔女=女性というイメージの確立について考察する。ここでは、そのイメージの確立には、ある“現実的存在”がそのきっかけとなったのではないかということについて説明され、さらには『魔女の槌』における“魔女”とは何を意味したのかが説明される。

以上の過程を通して、『魔女の槌』によって初めて、本当の意味での“魔女”が生み出されたことが、明らかとなるであろう。

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